みなさんこんにちは!
大阪市・越谷市のウェブ制作会社エンジョイワークスです。
突然ですが、私ライター2号は(一般的な)RPGゲームが大の苦手であります。
先輩のデザイナーさんがせっかく貸してくださったMOTHER1~3も、
結局たいして進められないままお返ししてしまいました…。
(かつてはFFなどプレイできたが今はめっきりダメに)
ただ、このことを単純に好き嫌いでくくってしまうこともできますが、
個人的により大きな問題が横たわっている気がして、
今回はそのことを書きたいと思います。
とどのつまり、プレイヤーにおける“視点”についての話です。
ナラティブな問題としての、ゲームにおける“視点”
今回考えたい“視点”とは、
いわゆる「一人称視点」とか「三人称視点」のことではありません。
小説を思い浮かべてみてください。
物語を記述する以上、そこには語り手が存在することになるわけですが、
この語り手は大きく分けて3種類あると思うのです。
その1:主人公(もしくは特定の人物)自身が語り続ける。
その2:客観的視点(≒作者本人)から描写し続ける。
その3:章ごとに語り手が変わるザッピング形式。
この3タイプの分類は、まんまゲームにも当てはまると私は考えます。
過去に当ブログでご紹介した作品でいえば、
1番目のタイプの代表例は『ガンパレード・マーチ』でしょう。
操作できるのはプレイングキャラのみ。
まわりの生徒は、それぞれ個性をもって好き勝手に動いています。
彼ら彼女らにはたらきかけることはできても、
思いのままに動かすことは(戦闘時でさえ)できません。
(公式チートアイテムを使えば極めてゲームマスターに近いプレイも可能だが、やるかどうかはプレイヤー次第)
また、『ソウ楽都市OSAKA』は、真正面から主観視点のテーマを突き詰めた作品です。
シナリオ内でも登場人物から
「部員たちはあくまで個人であり、編集長(=プレイヤー)の影響力なんて大したことない」
「だから一つひとつの選択に気負わず、正しいと思ったことをやっていけばいい」
と直接語りかけられます。
(とはいえみんな結局指示どおりに動くので、無視したりサボったりしてくれればさらに深まったかも)
ゲームに何を求めるかで、好みの“視点”も変わるはず
結論からいえば、私はすっかり“主観視点至上主義者”になってしまったようです。
だから、物語の途中で操作するキャラが変わってしまったり、
戦闘時にパーティ内の全キャラを操作したりすることが耐えられなくなってしまうんですよね。
ほかにも『フロントミッション・オルタナティヴ』、『THE STANLEY PARABLE』、
『VA-11 HALL-A』、『THE LONG DARK』、『Five Nights at Freddy’s』等々、
私がここでご紹介したゲームはほとんどが“主観視点”タイプのゲームでした。
たぶんこれは、ゲームに対して“物語”ではなく体験を求めているが故の
性癖なんではないかと自己診断していますけれども。
おそらく、主観視点を徹底できているゲームって、
意外と希少なんじゃないでしょうか。※FPSを除く
ストーリーはあくまで主人公目線で進みながら、
戦闘に入ると全員を操作することになっちゃうパターンが少なくないと思うのです。
そういえばここ最近、巷で『十三機兵防衛圏』というゲームが注目を集めており、
プレイスタイル・シナリオ・口コミでジワジワ売り上げを伸ばす状況いっさいがっさいが
「ガンパレの再来」とも評されているのだとか。
手元にPS4がないためプレイはおあずけ状態ですが、
主観視点ゲーム難民として、私、気になります!!!