みなさんこんにちは!
大阪市・越谷市のウェブ制作会社エンジョイワークスです。
さて、“コピーライティング界の天下一武道会”こと第58回宣伝会議賞の一次審査結果が2月1日に発表されます。
ライター2号は2年連続で挑戦しましたが、正直いって前回よりも自信がありません。。。
本数自体は増えましたが、質の面で
「なんかうすっぺらーいコピー(ようなもの)ばかり出してしまったな…」
と大いに反省している次第であります。
(ゆえに2月から反省記事を連発しそうです…)
ここで一つ、「キャッチコピーとは何ぞや?」をゼロベースで考える必要性を感じ、
この場を借りて自問自答したいと思います。
「キャッチコピー」の定義。
まずは・・・そうですね、「キャッチコピー」という言葉そのものにスポットを当てましょう。(そもそも和製英語ですが)
「キャッチ」とは英語の“catch”であり、「捕まえる」という意味があります。
そして「コピー」は“copy”で、「複写」ではなく「原稿」の意味をとりますと、
キャッチコピーすなわち「人を引きつけるための原稿」という定義付けができます。
この「引きつける」というのが非常に厄介でありまして、
基本的に人間は野暮ったさを嫌う思考回路をもっているので
工夫が必要というわけなのです。
要は「そのまんまには人は反応しないよ」ということ。
例えば新しい旅客機の路線について、スピードの速さをアピールしたい場合、
「驚くほどのスピードを体感せよ。」
と書いて誰が興味をもつでしょうか?
驚くかどうかは乗客本人が判断することですし、そのスピードを体感するメリットだって感じられません。
「外国が、隣町になる。」
とかにすれば、「ああ、それだけ速い飛行機なんだな」と読み手自身が想像でき、新しいライフスタイルを思い描けるわけです。
以上の考察から、キャッチコピーとするためには①何らかの得をさせること、②ある種のインタラクティブ性をもたせることが必要なんだろうと結論づけられます。
現代の広告に求められるキャッチコピーのスタンスとは。
キャッチコピーそのものの定義は決まりました。
では、その先に話を進めましょう。
キャッチコピーをなぜ設けるのかといえば、何かしらのサービスだったり商品だったり作品だったり、会社そのものだったりを読み手に知らせたいからです。
一方、今の世の中を見渡してみて、どうでしょう。
テレビも雑誌も電車のなかもスマホの画面も広告だらけでパンパンです。
こんな状況で「この商品・サービスはこんなにいいんです!」と訴えても、
情報の海に飲み込まれてしまいます。
じゃあどうすればよいか。
読み手への贈り物でなければいけないのではないか、と私は考えます。
よく街なかであるポケットティッシュ配りのように、受け取る側の人が受け取るに足るようなギフトを付けること。
それを言葉だけでやるにはどうしたらよいか…というところに、いわゆる“コピーライター”の真価が問われるのでしょう。
ギフトといっても、寄り添えばいいのか、笑わせればいいのか、決断を後押しすればいいのかなど、方向性はケースバイケースです。
しかし「広告する商品やサービスではなくターゲットに立脚する」という考え方は一貫すべきでしょう。
モノが飽和し価値観が多様になった今日、「新発売!」だけで売れるはずがないのです。
その商品なりサービスなりがあることで描かれるストーリーだとか、日常への発見だとかを提案できなければ、
ちゃんと機能する“キャッチコピー”にはならないんじゃないかと思います。
誰か、ではなく、まずは自分を感動させるために。
・・・以上長々と書き連ねてきたことはザ・机上の空論なわけですが、
それでもたまにはこういうプロセスを踏んでみるのもいいではないですか。
私自身、コピーを考えようとすると、どうしてもその商品だとかサービスを売り出すことに執着しがちです。
でもその方向性でいかに言葉をこねくり回しても、受け手の心に届くかどうかは別の話。
クライアントが喜ぶ言葉と、受け手が喜ぶ言葉は必ずしも一致しません。
だって他人だもん。
まずは受け手を喜ばせ、結果的にクライアントが喜べる。
そんな広告が理想的といえるのではないでしょうか。
・・・そう、他人なのです。
だからターゲットをいかに想像したところで妄想の域を超えることはありません。
最初に喜ばせるべき・笑わせるべき・泣かせるべき人は自分自身のはずなんです。
そのことをしっかりと胸に刻んで、これからもコピーライティング力を磨いていこうと心に決めましたまる。