みなさんこんにちは。
大阪市・越谷市のウェブ制作会社エンジョイワークスのライター2号です。
いやー今回ばかりは、一切のおふざけ気分もスカ飛んでおります。
KRAZYBEEの公式動画よりキャプチャー
山本“KID”徳郁さんが9月18日にお亡くなりになりました。
享年41歳。早い、早すぎる。
山本選手が日本の格闘技界の中心に君臨していた頃、
筆者は特別応援していたわけではありませんでした。
しかしできれば勝ってほしいし、というか大体勝つし、
格好いいことは間違いない。そんな名選手でした。
軽量級へのニーズがまだまだ低かった当時において、
お茶の間を未踏の世界へ引っ張っていってくれたのが山本選手でした。
ときにはリング内外でトラブルが起こったこともありましたが、
いつも彼の根底には対戦相手への愛、
そしてファンへの敬意が流れていたように思うのです。
人一倍小さい体ながら、まさに巨星。
マスメディアがちゃらんぽらんにつけることも多いニックネームですが、
山本選手の“神の子”は本人のコメントによるものです。
実際の意味合いとしては父・山本郁榮を尊敬し、
その息子という意味で自らをそう称したわけですが、
今となっては山本選手以上にこの言葉がふさわしい人はいないでしょう。
しかししんみりしていてもいけませんね。
せっかく彼が残してくれた劇勝の数々を、
しっかりと我々の目に焼き付けようではありませんか_。
というわけで!これより
「私が独断&独断で選ぶ山本選手のベスト・ヴィクトリー」
TOP3をご紹介しますッッッ!!!
(結局こうなる)
第3位 2005年 対 イアン・シャファー 戦
(3R 1:23 TKO(パウンド))
K-1でマイク・ザンビディスに生涯初のKO負けをくらってから、
わずか2ヶ月後に行なわれた試合。
身長差約10cm、打撃なら日本人トップファイター級の実力をもつ
海外選手に対して、第2R残り1分半からの壮絶な打ち合い→
リフトアップからのガブリは驚異的です。
そして最終的には伝家の宝刀・右アッパーからのたたみかけでTKO勝利!!
たしかこのときのKID選手、インフルかなにか明けで体調は最悪だったとか。
コンディション調整も格闘家の仕事とはいえ、
それでもこんなに動けるとはさすがとしか言いようがない。
第2位 2007年 対 ビビアーノ・フェルナンデス 戦
(5分3R終了 判定3-0)
さてみなさん、お気づきになりましたか?
そう、私は一発KO勝利の試合をあえて挙げていません。
なぜなら長期戦こそ山本選手の高度なテクニックや
無尽蔵なスタミナを堪能できるからです。
とはいえそれだけ手を煩わせる相手もなかなかの強者でありまして。
ビビアーノ・フェルナンデスはのちにDREAMチャンピオンにも上り詰めた選手で、
柔術世界一の実力は、KID選手を腕ひしぎ~三角絞めで
ギリギリまで追い詰めたことにも表れていますね。
もちろん(?)身長差は5cm以上。
そんな怪物相手だからこそ、“神の子”の真価が発揮されるのです。
第1位 対 宇野薫 戦
(2R 4:04 TKO(ドクターストップ:左眉尻カット))
そして栄えある1位は、魔娑斗戦でも須藤元気戦でもなく、
この宇野薫選手との一戦になりました。
本試合は、HERO’Sミドル級トーナメントの準決勝として行なわれましたが、
おそらく格闘技ファンにとってはそれ以上の価値があるものでしょう。
PRIDE以降、地上波という表舞台で輝いた日本人総合格闘家たち。
その多くを輩出してきた団体があります。“修斗(しゅうと)”です。
あの五味隆典も青木真也も川尻達也も、もとは修斗の出身なのです。
話を試合の2人にもどしましょう。
山本選手は修斗時代に名を馳せ、K-1の舞台へと駆け上がりました。
対する宇野選手は修斗で一時代を築き、
米国UFCでの参戦経験も長い“総合格闘技のパイオニア”。
階級がちがうこともあり、これまですれ違いだったカードが
HERO’Sのリングで実現したわけです。
なおこの試合はトーナメントの2回戦ということで、
両者ともにこの日2試合目となります。
山本選手はグレイシー一族の雄、ホイラー・グレイシーを見事なKOでぶっ倒し、
一方の宇野選手は当時一番勢いのあった所英男を
フルラウンド判定で下して勝ち上がりました。
体力消耗量的にはけっこうな差があったものと考えられます。
それでも、この試合の入りはどうですか。
なんという見事な立ち回り、フットワーク。
山本選手の出入りの良さを間合いで抑えていますね。
いやすみません、自分どちらかというと宇野選手推しなもので、
ついつい立場が迷子気味に…。
でもですね~ベテランの老獪さを力技で制圧しちゃう
のがまた、KID選手なわけですよ。
あと毎度おなじみ身長差ですけど、これまた10cmありますからね。
もう笑っちゃう地力の高さ。ズバ抜けた身体能力と技術吸収力の結実、
それがKID選手が誇る唯一無二の強さの所以でした。
その勇姿は格闘技ファンの心のなかに生き続ける
書き始めるととんでもない文章量になってしまいましたが、
やっぱりそれだけ一格闘技ファンの私にとっては重要な存在でした。
現在各団体で活躍する一線級のファイターのなかには
「自分より一回りも二回りも大きな相手をバッタバタ倒していく
KID選手に憧れて格闘家になった」
と語る選手が少なくありません。
そして彼を知る人は、誰もが「やさしい人だった」と語ります。
なおKIDさんが経営していたジム「KRAZY BEE」には、
彼から薫陶を受けた強豪選手が多数在籍し、めざましい活躍をみせています。
(ジムの一つが越谷市にあるということで勝手にご縁を感じております)
これからもKIDさんの戦った証は受け継がれ、
私たちの血を熱くさせてくれることでしょう。
合掌ッッッ!!!