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“善”も、“悪”も、あなた次第。『JOKER』

MOVIE ADDICT

みなさんこんにちは!

大阪市・越谷市のウェブ制作会社エンジョイワークスです。

 

 

 

 

いや~、ようやっと観れました『JOKER』

結論申し上げますと、久々に「円盤ほしい」と思えた映画でした。

ほんとうに傑作だった。

 

 

レンタルが開始されてから間もないことに加えて、

ぜひ前情報の少ない状態でみていただきたいので、

レビューを行なうことが非常にセンシティヴではございますが、

のらりくらりと語ってまいります。

 

 

 

『JOKER』が投げかけるキケンな問い

 

本作では、バットマンシリーズの人気悪役である「ジョーカー」

いかにして“悪者”に堕ちていったかを描いているわけですが、

この過程がとても納得のいく(ようにみえる)流れだというのがカニミソでして、

観る者はカタルシスとともに、固定観念の消失を味わうわけです。

「あれ、悪ってなんだっけ?」と。

 

 

 

一般人を殺害することは紛れもない“凶悪”犯罪であり、

ジョーカーには罰が下るべきなわけですが(実際捕まることもある)、

彼の凶行に痛快感を得ている我々は、いったいどういう存在なのか。

 

 

法治国家では、法律の名のもとに平等が担保されます。

しかし、その法律も誰かがつくったものにほかなりません。

何が“善”で、何が“悪”なのか、その基準は時代とともに揺らぎ続けます。

 

 

それに、同じ時代であっても、立場が違えばそれだけの数の“善”があり、

鏡のように“悪”も存在しているはず。

そう考えると、「物事の善悪って結局主観でしかないんやなー」と悟ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一に止められない社会が、純粋悪を生みだす。

 

以前、とあるお坊さんから

「正の字は、一に止めると書く」

という話を伺いました。

 

 

 

正しさとは、原理的に主観でしかない。

私の正しさがあなたと共有されて初めて、

私とあなたの間だけで「正しい」が広がるのだ。

それすなわち「一に止める」ということなり。

 

もう何年も前の記憶ですが、いまだに鮮明に心に刻んでいますし、

もしこのことが世界中に広まれば、きっとだいぶ生きやすい社会に

なるんじゃないかと思っています。

 

ジョーカーが「自分を否定するものに私刑を下す」行為自体は、

けっして許していいものではないと思います。

ただ、その発端には、「一に止めることができなかった」社会があるがゆえに、

彼の行為をただの蛮行とは片付けられない状況を生み出していることが、

本作品の醍醐味ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

な~~~んていう小難しい理屈を抜きに、ぜひ観ていただきたい!!!

ホアキン・フェニックスの立ち居振る舞いだけでじゅうぶん満腹になれます。 

もし映画館で再上映があったら、そのときはぜひ観にいきたいと思います!!