人思う、ゆえにメディアあり。『メディア論』入門

円楽大学

みなさんこんにちは!

大阪市・越谷市でウェブ制作をバリバリバーフバリ!!(?)な

エンジョイワークス所属、ライター2号です。

 

突然ですが私、就職活動から逃れる口実に大学院を目指していた時期がございまして、

それ以来なんとなく「学術的な考え方&知識フェチ」になってしまったんですね。

 

しかしせっかく蓄えた知見を独り占めにして、ほくそ笑んでいるだけではもったいない!

ということで、このブログを使い積極的にみなさまに共有してまいりたいと思います。

 

 

題して「円楽大学」!!

よろしくどうぞお付き合いくださいませ。

 

 

第一回目のテーマはズバリ、メディアについて。

古くは「マスメディア」に始まり、「マルチメディア(死語)」「ソーシャルメディア」など、

私たちの生活にはなにかと「◯◯メディア」という言葉が行き交いますが、

 

そもそも“メディア”って何なのか

 

について考えたことのある方は少ないんじゃないかと思うんです。

 

 

“Media”=媒介、媒体

カタカナである以上、もとの英単語からたどるのがセオリーというもの。

そこで得られた答えとは「Media=媒介、媒体」という意味です。

 

 

媒介・媒体といってもパッとイメージできないかもしれません。

新聞でもLINEでもインターネットでも、人びとはメディアを使って何をするかって、

それは何らかのメッセージを伝えることですよね。

メディアとはメッセージをのせて、相手に伝えるための器のようなものなのです。

 

そう考えれば、「メディア」という言葉がもつ可能性に気づけるのではないでしょうか。

 

 

人はそれを“メディア”にする

雨が降っていて、「嫌だなぁ」という気持ちを抱いたり、

満月の夜に「あの人も今、同じ月を見ているだろうか」と思いを馳せたり、

ただのチェーン店でも大切な人との思い出が蘇ったり…

 

これらのケースでは、“雨”・“満月”・“チェーン店”それぞれが、

あなたにとってのメディアである、ということNANODESS!!

(ハイここ「ええ~~~!!?」ってなるとこですよ!!)

 

だからこそテレビや新聞といった大衆向けの媒体は「マスメディア」、

昨今のインターネットを介した個々のつながりは「ソーシャルメディア」と

区分けする必要があるんです。

 

「メディア」とは本来、もっと自由で可能性に満ちた概念なのですから。

 

 

世界のM.Mは云った。「メディアはマッサージである」と。

というところから出発して、メディアの成り立ちや可能性を研究する分野は

「メディア論」と呼ばれています。

 

「メディア学」ではない理由は、比較的歴史が浅いとかそういう理由だと思われますが、

いつの時代もHOTな話題はメディアからやってくるように、

なかなかアツい分野であり、私は大好きです。

(一番行きたかった大学院もこの分野)

 

そしてこのメディア論の父と目されているのが、

カナダの文明批評家(カッチョエー)、マーシャル・マクルーハン(1911-1980)!!

 

Marshall McLuhan

1911-1980

 

メディア自体がメッセージなのではなく、

メッセージをのせて人びとを刺激するという意味の

「メディアはマッサージである」はテストに出ますので、

みなさん必ず覚えておいてくださいね。

 

ただ、個人的にもっと印象深かったのが、「人間は拡張を欲望する」旨の主張であります。

自動車や携帯電話や家電製品など、私たちを取り囲む便利な道具たちは、

すべて使う者の身体の拡張として考えることができる。

 

とすれば、これからやってくるロボットやAIは、

私たちの思考や心を拡張しているとでもいえるのでしょうか…?

 

う~む、楽しい。こういう話を向かい合ってできる友だちが欲しかったなぁ…(涙)

 

 

 

というわけで、まずは「メディア」という概念について語ってみました。

テクノロジーの革新とともに、人びとは確かにコミュニケーションの形を変えていきますが、

決して後追い的なものではなく、実は相互作用的なものなんだということ、

そしてすべては人間の「拡張したい」という欲望に突き動かされているのではないかということ、

ぜひ気に留めてみてください。

 


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